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2007年01月12日

●犠牲祭1:12月31日。お正月の雰囲気の中で

年末にパソコンを紛失盗難にあったあおりでなかなかブログへの投稿もできないでおりましたが、ようやく新しいパソコンでインターネットにも安定してつなげるようになりました。
以下、既にかなり時差が出てしまっておりますが、いくつか年末に当たっていた犠牲祭ネタをお送りいたします。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
(写真はまた後日ということですみません)

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今年の犠牲祭は結局12月31日に。
ヨーロッパでは12月30日だったということなのですが、いったいイスラム世界。
この「時差」はどうやって直して行くのだろうと、かなり疑問な私。

こうして1日ずれていることで、新年やら預言者モハンマドの誕生日なんていうお祝いの日も、世界的に1日ずれたまま祝われて行くのだろうかと、○○の日、は毎年同じ日にめぐってきて当たり前に思う社会の人間にはかなりキモチが悪いのですが、月を見ながら毎年ずれていく暦をおいかけていく事そのものは、長い年月の中では、365日どの日も大切な日であり得る、とも言われているような気がして、それはそれで含蓄があるようにも思えるのでした。

さて、犠牲祭当日は、ひとまずダンナの実家で過ごすべくイミルシル(近郊)へ。
仕事が終わらないのでワルザザートを出たのは夜8時過ぎ。
ティネリールからイミルシルへと向かう道路は2ヶ月ほど前の大雨でかなり破壊され、状態が悪いと聞いていたのですが、その状態は、悪路好きの管理人を喜ばせて余ある…とまぁ、要するに、大半の方々、特に工事を行った行政にとっては「もう最悪」な崩壊具合でした。

けれども切り立った崖が200mも空に向かっているトドラ谷。
それはつまり断崖絶壁の岩場でそれだけの深さを掘り下げて行くだけの水の力があったのですから、ここ100年の間に人間ごときが作り出した新しい技術でそれに立ち向かおうという方が逆に無理な発想なのかもしれません。
まさかこれが崩れるなんて、というようなコンクリートの固まりだった道路も、元の「ただの岸壁」状態まで削り取られ、道路にするために川縁に積み上げられた石や泥は、水の勢いの増すカーブでことごとく削られ。
夜のドライブだったので、あやうく川に転落するところでした!

けれども、月夜+これまた2週間くらい前に降った大雪のせいでまだまだ残っている雪のおかげで谷間を抜けてからは空も明るく、きれいな星空に気分も明るく村に到着することができました。

そして翌朝。
見渡せば山に残っているだけかと思っていた雪は、まだまだそこら中に。
大雪の日に「いやぁ、雪が降りすぎてドアが開かなくて家を出られなくてさ。だから仕事探しに行かないの!」なんて冗談を言っていた弟の電話は、あながち嘘でもなかったのだな、と思われる残雪ぶりなのでした。
もっとも、日本人的にはこの雪と寒さ、そして夜遅くまで人がうろうろしている雰囲気こそまさに「新年」という感じなので、今年は「紅白」と、「ゆく年くる年」のセットへの恋しさが、ちょっと減るかも、と思っている管理人なのでありました。

近所を歩けば、シーンとした空気の中に、かすかにチョロチョロと雪の解ける音が聞こえ。
見上げれば真っ青な青空。
家々から上がる白くて細い煙。頭の中のバックミュージックは「春の海」!!
うーん!!!お正月!!(…って、どこの出身ですか、という感じですね)

私は本日12月31日に「お正月」を14時ごろまで満喫した後、モロッコでの大晦日の演出のため、砂漠ツアーのお客様とともにメルズーガに向かいます。
時差どころか、1日が逆転している管理人の新年&年末、、おっと、年末&新年でありました。

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