2007年01月15日

●管理人、やられる(2)

先日子供とミュージアムに出かけた時のこと。

 おじさん:大人は20DHですよ。
 私:子供は?
 おじさん:子供は…いいよ!
 私:あ、そう?!どうもありがとう!

そして50DH札を渡した私。おつり、20DH。
領収書、20DH分。
…おっさん、「いいよ」って、領収書はいらないよ、っていう意味だったんでしょうか。。。私、いるんですけど。
あまりにも気前よさげに「いいよ」って言われたので、つい「おじさん、おつりは30DHなんじゃないの?」と言えない私だったのでした。いいんですけどね。別に。本当は入場料かかる年だから。


年末、犠牲祭前。
ドアのチャイムの音が鳴ったので、このクソ忙しいのに夜なんだ、と思えば階下の女学生。

 学生ちゃん:あの、すみません。大学の授業のために準備しなくてはいけないものがあって。100DH借りてもいいですか
 私:それは貸すの?それとも「あげる」の?
 学生ちゃん:犠牲祭で実家に帰るから、戻って来たら返します。
 私:…じゃあ、100DH、「貸します」ね。
 学生ちゃん:どうもありがとうございます!じゃあ、犠牲祭が終わったら。

そして犠牲祭が終わってから2週間。何の音沙汰ももちろんなし。
…まぁ、別に学生さんのお勉強のお役に立つのはやぶさかではないんだけれども、なんだかちょっと。

一度でいいから、「ありがとうございました」って、自分からお金を返しにくる人に出会いたい。
そしたら倍にして「あなたのその気持ちに会いたかったのよ!きちんと返そうっていう心がけをこそ大事にしてね!」って、あと100DHだってあげたのに。
実はひそかに、返してくれるって私の所にやってきてくれた人には、絶対にそう言って励まして、返そうとしてくれたお金は受け取らない事に決めている私だったりするながら、その台詞は、悲しいかな。まだ口を出た試しナシ。
女学生さんなら、もしかして「やっぱりモロッコ!捨てたもんじゃないじゃない!」って私をウキウキ気分にさせてくれるんじゃないかと思った私が甘ぅございました。

今度こそ、という期待があるからこそよけいにガックリ失望感。
私は何回味わったら、はっきり断れるオンナになれるんでしょうか。
それとも今度こそ
「ゴラァ!!返すとか言って嘘ばっかり言うんじゃないっっ!返すつもりはないけど金よこせって最初っから言えやコノ根性なし!」ってののしりながらくれてやれば、「そんなカネ、くれるったってもらってやるカァ!このクソババア!」…ってな具合に、ちょっとはプライドの一つも持ってもらえるんでしょうか。
それともやっぱり、プライドなんてどうでもいいくらいに、お金がない現実の方に耐えられないんでしょうか。

数字に弱い管理人としては、ひとまず今日の食べ物が自分の家にあれば、財布からいくらなくなろうがいつのまにか忘れてしまうという欠点がありますが(苦笑)、ココロの隙間だけは、いつまでも欠けたまま。
ああ。
いつか誰か、きちんと返しに来てくれないかなぁ。
そうしたら、私は本当に喜ぶと思うんだけれどもなぁ。

ああ。それにしてもキモチ悪い!
どこかしらこちらの善意につけこまれているだけに、よけいにキモチ悪い!

2007年01月14日

●犠牲祭3:変わりゆく村人生活

さて、犠牲祭といえば、親戚や近所の人々に挨拶して回るという大仕事のある日でもあります。
この日のために、わざわざヨーロッパ出稼ぎ組も帰ってくる人もいるくらいですから、田舎の町は大にぎわい。
どこの家でもまずお茶が出てお茶菓子が出て、そして羊を食べる事に誘われて、ひたすらおしゃべり(会えなかった日々の日常報告?)をして、また次の家庭に移って行く…という具合なわけなので、言葉もよくわからない上に、話題になっている事が自分たちが話題にすることと大抵大きく違っていたりする外国生活において、コレはかなりストレス度の高いイベントだったりして。(結婚式も同様(苦笑))

幸い我が家の場合はうちのダンナが子供の頃から働きに出ていたり、そもそも遊牧民生活だったこともあり、あまりそうした伝統にこだわりがないので、私のようなガイジンの嫁には大いなる救いなのでありました(ホッ)

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2007年01月13日

●犠牲祭2:同じ「羊肉」でも違う味!

さて、山奥の実家には、ダンナとその弟たちが集合。
既に前日に1頭の羊が捌かれており、さらに当日に2頭。
それだけのお肉は、いったいどこに消えていくんでしょうか。ガイジンな私は1日肉づけになっただけで「勘弁してください!」なんですが、モロッコ人の若い女の子に聞いてみると「…そう?私はぜんぜんかまわないけど?好きだから。」とのこと。
毎年毎年同じ事をやって、食べ過ぎて嫌いになったりとかならないんだろうかと不思議です。

さて、例年羊を捌くところから見たがるうちの子は、幸い外に降り積もっていた雪と戯れに出かけていたので、一安心。さすがにいくら見たいと言われても、まだそればかりは少し早いような気がしてしまうのですよね。
大人の私でさえ、何回見ても、首を切られてもなかなか息絶える事のない大型動物の姿を見るというのはなかなかつらいものです。(でも、死んでいただくわけなので、せめて見て、かつ食べるる事でお見送りしてしまう私です)

死に至るステップというのはどの個体もほぼ同じなのですが、かなり長い事もがく個体もいれば、横になった時に既に観念している個体もあったり。羊にしてもそれぞれの生き様と思想?があるのであろうかと、生き物がやがて肉へとなっていく過程を見つめながら、毎年いろいろ考えてしまいます。

しかし、そのようにしてしばし哲学者になったのもつかの間。
すっかりただの「肉のかたまり」になってしまうと、人間とはなんと欲深い生き物であることか!
関心はすっかりそれを「味わう」事の方(苦笑)
今年はネットで知り合った北海道の方にわざわざ送っていただいた「べるのたれ」(←田舎でも大好評でした!)持参で出かけましたからね。
肉を食べる事にかける意気込みも例年以上です(笑)

けれどもその気合い十分の「欲」を前にしてもなお、我々日本人・パッケージ社会の申し子は、また一つ自然の不思議と出会う事になるのであります。

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2007年01月12日

●犠牲祭1:12月31日。お正月の雰囲気の中で

年末にパソコンを紛失盗難にあったあおりでなかなかブログへの投稿もできないでおりましたが、ようやく新しいパソコンでインターネットにも安定してつなげるようになりました。
以下、既にかなり時差が出てしまっておりますが、いくつか年末に当たっていた犠牲祭ネタをお送りいたします。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
(写真はまた後日ということですみません)

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今年の犠牲祭は結局12月31日に。
ヨーロッパでは12月30日だったということなのですが、いったいイスラム世界。
この「時差」はどうやって直して行くのだろうと、かなり疑問な私。

こうして1日ずれていることで、新年やら預言者モハンマドの誕生日なんていうお祝いの日も、世界的に1日ずれたまま祝われて行くのだろうかと、○○の日、は毎年同じ日にめぐってきて当たり前に思う社会の人間にはかなりキモチが悪いのですが、月を見ながら毎年ずれていく暦をおいかけていく事そのものは、長い年月の中では、365日どの日も大切な日であり得る、とも言われているような気がして、それはそれで含蓄があるようにも思えるのでした。

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