|
|
イスラム、といえば目に浮かぶ女の人のスカーフ姿。
けれども、モロッコでは、これをつけたりつけなかったりすることに、何か罰がまっていたりすることはなく、あくまでも個人の自由に任されています。またお酒にしても、ラマダンの時期こそモロッコ人向け販売が禁止されますが、基本的にはモロッコ人であっても、ツーリストであっても、それを飲むか飲まないか、ということは個人の判断にまかされています。
モロッコは国教としてイスラムを選んでいますが、法律まで100%それに準拠している国ではないのです。
さて、そんなモロッコの正式名称、「モロッコ王国」からもわかるように、モロッコは日本と同じように、王様のいる国です。
王家としての歴史は、1659年からはじまる歴史のある王家でもあり、預言者ムハンマドの子孫であるということから、王室および国王は、国民の宗教的指導者としても尊敬をあつめています。1999年の夏に、先代のハッサン2世が亡くなったのも、記憶に新しい方もいるでしょう。
国王として激動の20世紀を半世紀にわたって指揮したハッサン2世が即位したのは、1961年。
モロッコ建国の父、ムハンマド5世(空港や、街の大通りの名前としてたくさん登場します)の崩御にともない即位され、第二次世界大戦の後の混乱、隣国との問題の数々、国内での難しい政治的かじ取りをこなされてきたのが、今でもあちこちでその肖像写真がかざられている、ハッサン2世なのです。
けれども、ハッサン2世が治めた20世紀という時代、モロッコという国を国民が平和に暮らせる国とするために、国民が多少の犠牲を払ってきたのも一方で事実でした。
反乱をおさえ、平和な生活を守るために、政治について国民が自由に集まり、自由に語るということができなかったのです。(現在も法律は改正されていないものと思われます)
そんなわけで、モロッコでは今でも王様についてや政治についての話は、たくさんの人の耳があるところではほとんどなされません。
それがたとえ気心の知れた友達であっても、そういった会話にはものすごく注意を払う人もいるくらい、モロッコに暮らす人々にとってはデリケートな問題。
そして言論が不自由であるという事は、先進各国にとってはなんとも都合のいい攻撃材料であり、私達にとってもつい「それはなんともいけないことだ」と、単純に思ってしまうモロッコの問題点の一つでもあるでしょう。
けれども実際くらしている国民は、そんなかっこいいことばかり言えるものではありません。あるモロッコ人は、ステレオタイプの代表のような私の「自由になったらいいのにね」という言葉に意外な答えをくれました。
── 政治の話ができるとかできないといった事を欧米は何ものにも代え難いものであるかのように言うが、そんな話ができたところでどうなるだろう。
難しい話はきちんと教育を受けた者でないと理解できない。自由にはそれに伴う責任があることも教わっていない。
まともな教育を受けていない国民の大半は、そんなところに言論の自由が現れて、目先の利益ばかりちらつかせて数だけ稼ごうとする煽動家にでも感化されたら、すぐに彼等の思い通りになってしまうだろう。
もしもそのせいで国が混乱に陥り、安心して子供が家に帰って来るのも待っていられなくなってしまったら、その「手に入れた」と言われる自由に一体どれだけの意味があるだろう。
政治的な話を集まってしないとか、王室の批判をしないといった我慢でもないような我慢をすることで、原理主義の支配やテロの恐怖からこの自由と平和が守られるなら、おれは今のままでかまわない ──
統制を受けつつも、守られる平和と秩序。
血をながし、混乱の果てにつかみとる自由。
今の自分とその家族には、はたしてそのどちらが大切なのか。
今この時代、言論の自由が認められていない事を良い事だと肯定する人はほとんどいませんが、そんなモロッコ人のセリフに、いい事といわれる事、悪い事といわれる事を、その背景も考えてみないうちから決めつけてしまう考え方を見直させられます。
世界中、どの国も大きな問題をかかえ、何もかもが大きく動いた20世紀の歴史。 20世紀のモロッコも、良くも悪くもいろいろなできごとをかかえた100年だったのです。
| |