旅の情報編04:モロッコ人とくらし
暮らしの中の政治と宗教 犠牲祭がやってきた


 
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ラマダンの1ヶ月

「イスラム=厳しい」というイメージとはちょっと違うモロッコ。
けれどもそんなモロッコでも、断食月のラマダンの時期だけは特別。
ふだんはいろいろ御託をならべてはお酒を飲んだりお祈りをさぼったりしているようなひとでさえ、ラマダンの1ヶ月前くらいからお酒を断ってその聖なる月に向けて準備する人がとても多くなります。

時々お酒を飲んだり、時にはハシシを吸うようなモロッコ人好きな事ばかりしているモロッコ人に出会う確率がなぜか多い旅人には、なんだ、そんなんでイスラム教徒なのか、と思えてしまう彼等でも、自分はムスリムである、という自覚は以外としっかりしていたりします。

この時期特におかしいのが、普段はあくどい土産屋。
そんな人でもこの時ばかりはちょっぴり親切プライスになったりしてしまうのだから、彼等の普段の心の葛藤を思うと、こちらにはたまらなくおかしく思えてきてしまいます。
イスラムで説かれている「弱い人間」の愛らしさが感じられる1ヶ月。
過ぎ行く旅人には、そんなふうにも感じられるかもしれません。

また、このラマダンの間は、日没後に、1年の間でも一番贅沢で、バラエティーに富んだ食事をとるのが習慣です。
この時期だけの特別のお菓子やメニューもあって、モロッコ人のお宅に招待されたりしたら、おいしい食事に、それは驚くことになるでしょう。
日中レストランが閉まっているから不便が多いとされるこの時期の旅行ですが、個人旅行の方には、それを押しても滞在してみる価値があると私は思います。
■ 基本セットはスープと卵、なつめやしにシュバキア。移動中のガソリンスタンドで。   ■ 家庭では日没前にみんなが集って。たくさんの人と食べるのが良いとされています。

 
 

ラマダン中は旅できない?
ラマダン中は何も食べられないかと思う方もいらっしゃるようですが、モロッコではツーリストも一緒にラマダンをすることはもちろん大歓迎なものの、しなかったからといって自分たちの習慣を無理矢理旅人にまで押し付けることはありません。

ですのでラマダン中も、ツーリスト向けに営業しているレストラン等はもちろん開いていますし、病人や子供はラマダン中も食事をしますから、小さな商店等も全てではありませんが、不便ではない程度にもちろん営業しています。

ですのでツアー等でいらっしゃる方は特にあまり困ることもないのですが、個人で小さな田舎の街に出かけたりするのであれば、確かにツーリスト向けのレストランなどもなくなるので、食べ物にありつくのもなかなか難しいのが現実。
「庶民の生活に近い所で旅したい」と思われる方は、それこそ一緒にラマダンしてしまえばより楽しい旅の時間が過ごせてしまうわけですから問題ないとして、ただたまたまモロッコに行ける時期がラマダンに当たってしまう、という個人旅行の方の場合は、やはり旅行時期を変える事を考えた方がいいかもしれません。

もっとも、その国の生活文化を見たい、という方には食べられない、という事を除いても、イスラム世界の豊かな文化の一端を垣間みる良いチャンスではあります。
特に食については、スーパーも街中も、ラマダン中の特別の食事やパン、お菓子類を売る店が増えるので通常の時期よりも楽しみは増えているはず。
また、マクドナルドにさえ、日没には「フトール(朝食)セット」が登場するくらいですから、この時期ならではの風物詩を楽しみつもりでいらっしゃれば、十分楽しめる事かと思います。

会社や商店の営業時間は、この時期9時ごろから15時、あるいは16時ごろまでとなります。昼休みがないので、旅人には便利かもしれませんが、全体的に午後にはかなり疲れたりイライラしたりしている人も増えるので、移動の時などはなるべく日没の時間にあたらないようにするといいかもしれません。
また、ラマダンの最終日翌日は祝日になります。
この時は、日中長距離バスなどの運行が休止になったり、この祝日の前後は数日にわたってバス、グランタクシーなどの運賃が上昇するので、旅程はあらかじめこのことを考えて組んでおきましょう。

 
  ラマダンの経験を分かち合う
このラマダン、旅人の皆さんも一度やってみると、思わぬ発見があるかもしれません。
ラマダンというと有名なのは空が明るくなってから陽が沈むまでの間、一切の飲み物、食べ物を口にしないという部分ですが、この時期は人の悪口を言ったり、といった事もふくめて、できるだけ悪いことをせずつつしんで過ごす月、ということになっています。
また、やらない人も少なくありませんが、ラマダン明けには1年の収入の10%を貧しい人々に供出する、というのもとても大切な事になっています。

私は未だイスラム教徒(男はムスリム、女はムスリマといいます)ではありませんが、彼らが大切に思う事ゆえできるだけ参加しています。

やる、と宣言すると、それはいいことだね、とみんなに歓迎されて、なじみの土産屋までが「今日もちゃんとやってるか?」とはげましてくれるにぎわいぶり。
のどが乾き、お腹がすいてつらいのをがまんしていると、今この同じ時間を、人種を越え、国境を越え、全てのムスリムが同じつらさに耐えているんだなぁと、いつのまにか不思議な連帯感がじわじわ感じられるのでした。

国境を越え、人種を越え、身分の差を越え、同じ神を信じる仲間なのだというその感覚こそ、キリスト教にはありそうでない感覚であり、イスラム教徒が今も世界中で数を増やしている一つの大きな理由かもしれません。

最初の一週間はつらいのですが、過ぎてしまえばだいじょうぶ。ただ、そうは言っても、日没まであと1時間というのがなんともつらいのです!
初めてラマダンをしたまだ若き日に、ラマダンを免除されている子供に、目の前で美味しそうにチョコレートバーなんて食べられてしまった日の衝撃は今も忘れられません。

「いいな!ずるいな(笑)!私にもおくれぇぇ〜!!!」
自分の年も忘れて、目の前のチョコレートバーをものすごい視線でみつめてしまった私。
旅をしていると群がってくる子供にかぎらず、貧しい人々がうらやましそうにツーリストを眺める気分が、なんとなくわかった気がした一瞬です。

欲しいのに、それは自分の手には入らない。
私は自分で自分をそういう状況に追い込んでいるから、がまんしてあたりまえなのだけど、それが自分の意志ではまるでなく、貧乏だから、お金がないからという理由だけで我慢しなければならないのだとしたら、こんなにつらいことはないでしょう。

そういう気持ちが大事なんだよ、というモロッコ人。みんなでそういう痛みを分かち合うんだという1ヶ月に、彼らの優しさのルーツが垣間見えたような気がしました。
 
  ラマダン明けのお祭り
ラマダンの最終日は、空に上がる新月を確認してから決められますので、お天気が悪くて月が確認できないと、1日延びる事があります。ですのでそれが何日になるか、というのはあらかじめ決められません。

またラマダン明けには、宗教的な義務としてその年に収入のあった者は、収入が無かった人に対してその収入の10%を分け与える、という決まりがあります。
モロッコでも貧しい人の権利として、ラマダンが終わったその日の夕方から、大きな袋を持ってこの10%、「フタラトゥ」を集めてまわる人がたくさん出てきます。
中には本当に貧しく、お父さんお母さんから子供までこの袋を持って家々を回る人もいますが、現在のモロッコでは、どちらかというと例えばハロウィンのように、子供が袋を持って1DHくらいのお小遣いやお菓子等を集めて回る、というような慣習になっているので、前日から小銭やお菓子を準備しておくのが大変です。

また、このラマダン明けのお祭りは、何か特別なイベントがある、というようなお祭りではなく、新しい服に着替えて、一日家族や親戚を訪ねてラマダンが明けた事を祝う挨拶をしてまわる、というようなものなので、ツーリスト的には特に何か特別楽しい事があるわけではありません。
ラマダン明けの特別な朝食をとったり、その日に備えて作ったお菓子なんかを家族、親戚みんなで楽しむ、というとても内輪なお祭りです。
 
暮らしの中の政治と宗教 犠牲祭がやってきた

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